ヒトミの飼育日記
2001年
1月
露店で見つけた不思議な生き物、ヒトミ。
おまえはいったい、なんなのだろう?
1月1日(月)
1月2日(火)
ひとみ、片言のお喋りが出来るようになった。
名前を呼んでくれる。
嬉しくて、
なんども、なんども、
「この人は、だあれ?」 と聞く。
無邪気な笑顔。
ご褒美にポッキーをあげてみる。
べとべとだ。
ヒトミは、まだ戻らない。
どこへ行ってしまったのだろう。
まあいい。
1月3日(水)
まだ、足元のおぼつかないひとみを連れ出して、
夜中の散歩。
凛と澄んだ冷たい空気の中に、
切れるような輪郭の、上弦の月が浮かぶ。
今日はまだ、三賀日のうち、
夜中の人通りは少ない。
ぶかぶかの男物の洋服を幾重にもみにつけ、
ヨタヨタと歩く、ひとみ。
その表情は、幼い子供のよう。
愛らしい。
行き過ぎる人々には、どううつるのだろうか。
皆、怪訝な顔で振り返る。
1月4日(木)
ニコニコ、パクパク。
ひとみはすごい食欲だ。
昔はダイエットと称して、
ほんとに少ししか食べなかったのに。
ヒトミ、まだもどらない。
少し不安になってきた。
どこへ行ってしまったのだろうか。
しかし、このひとみを一人にして、
探しに行くわけにはいかない。
そして、頼れる友人達は、
もう、いないのだ。
1月5日(金)
1月6日(土)
立て続けにメールがとどく。
H、カメラ屋のおやじ、Y くん、知らない名前の人物2名から。
なにかのイタズラか。
だとしても、事情を知っている人間であることは確かだ。
文面はいずれも、助けを求めるような文面だが、
具体的な記述は、なにもない。
すべてのメールに返信を送る。
「おまえは、なにものだ。」
ひとみにSEXをねだられる。
違和感を感じながら、抱く。
心から嬉しそうな顔で喘ぐ、ひとみ。
昔のひとみは、こんな反応は示さなかった・・・
1月7日(日)
1月8日(月)
ひとみが、胎児のように身体を丸め、
床に横たわったまま、動かない。
ひとみでない何かとはいえ、
ほおってはおけない。
とりあえず毛布をかけ、様子を見る。
頬にふれてみる。
熱はないようだ。
苦しそうに眉をひそめ、
かたく眼を瞑っている・・・
救急車を呼ぼうか。
しかし、ひとみのことを、どう説明すれば良いのか。
1月9日(火)
動かないひとみ。
心配だ。
ひとみではない何か、とはいえ、
ここ数日間共に過ごしてきた日々は、
嘘ではない。
このひとみのような何かが、
もし、いなくなってしまったら、
そう考えただけで、胸が張り裂けそうになる。
だいじな、だいじな、ひとみ。
愛してるよ。
1月10日(水)
だるい・・・
鉛のような身体。
ひとみに寄り添い、毛布の中に潜り込む。
無音、
ひとみの温もり、
肌ごしに感じる鼓動・・・
生きている。
いま、生きている。
そう感じながら、
ゆっくりと眠りの闇に吸いこまれていく。
1月11日(木)
ひとみが、キッチンで、
料理をしている。
彼女は、料理が、上手だ。
昔、風邪で、寝こんだ時に、つくってくれた、
ツナのおじや・・・
いや、あれはひとみではないはずだ。
ベットで朦朧と考えながら、
窓の外をながめる。
星も見えないような街の夜空に、
電灯のように明るい月が、こうこうと浮かぶ。
1月12日(金)
寝ぼけ眼でベッドから起き上がると、
ひとみの抱擁と、キスが待っていた。
「はやく顔、洗ってきなさい。」
可愛らしく生意気な声、そしてその口調。
眼を擦り、顔をしっかりと見る。
照れくさそうにほほ笑みながら、
くるりと振り返り、キッチンへ消えて行く、その仕草。
テーブルの上に用意されつつある朝食は、
フレンチトーストと、その横に添えられたカリカリベーコン、
レッドチェダーチーズを散らしたサラダ、
そして、アールグレーのミルクティー。
ひとみのお得意モーニングフルコースだ。
これは、ひとみだ。
ひとみではない何かとは違う。
これは、
ここにいる彼女は、
昨日までの、何かとは確実に異なった、
ひ、と、み、だ。
1月13日(土)
ひとみとの生活が始まった。
彼女の部屋へ行き、
身の回りのものをまとめる。
見なれたワンピースに身を包むひとみ。
普通に手をつなぎ、
ありきたりの言葉を交わし、
当たり前のように、肌を重ねる。
昨日までのことには、
まったく、ふれずに・・・
そうだ、約束のディズニーランドに行こう。
1月14日(日)
明日、ディズニーランドに行こうと、
ひとみに話す。
無邪気に、ぴょんぴょんと飛び跳ねて、
よろこぶ姿が、微笑ましい。
晩御飯は、チキンマカロニグラタン。
これも、ひとみのスペシャリテだ。
冷えた身体が温まるのはいいが、
案の定、上顎をヤケドしてしまう。
ハフハフと食べる姿を見て、
今度はひとみが微笑んでいる。
1月15日(月)
1月16日(火)
1月17日(水)
1月18日(木)
1月19日(金)
暗闇。
膝を抱えて、うずくまる。
寒い。
ここはどこだろう。
声がする。
一人ではない。
嘲り笑う声。
I 。
K。
H。
カメラ屋のオヤジ。
生物講師。
Y くん。
・・・ひとみ?
暗闇自体が、
ねっとりとした嘲笑になり、
ドロドロと、この身体を包む。
必死になって剥がそうとするが、
それさえも嘲り笑うように、
嘲笑の黒い粘液に、
うずもれて行く身体。
助けを呼ぼうと、絞り出す声が、
むなしくヒューヒューと、
喉を鳴らす。
開けた口のなかに、暗闇が流れ込む。
息が・・・、いきが、い、き、が・・・
目を覚ます。
夢か。
タンスの上のヒトミのクッションに、
何かが、いる気配がする。
まだ、気持ちの悪い寝汗にまみれた身体を、
ゆっくりと起こし、のぞきこむ。
甲殻虫。
なぜおまえがそこにいる。
1月20日(土)
1月21日(日)
甲殻虫は、そこにいる。
確認している限りでは、
餌はおろか、水分さえも口にしていない。
ただ、じっと、
タンスの上から、こちらを見下ろしている。
その下で、
黙々と、日常生活を続ける。
洗濯、掃除、
今日は、足を伸ばして、
遠方のショッピングセンターまで、
買い物に出かける。
ひとみの好きなショップとは、
反対の出入り口を使っている自分に、
少々、苦笑いをする。
夕食に、ワインを、一人で一本空けた。
1月22日(月)
1月23日(火)
夕食。
相変わらず、甲殻虫は、
タンスの上から、こちらを見下ろしている。
ほんの気まぐれに、
味噌汁の豆腐を、
甲殻虫の前に、置いてみる。
ゆっくりと、その節くれだった前足で、
抱えこみ、啜るように食べる。
1月24日(水)
1月25日(木)
1月26日(金)
1月27日(土)
1月28日(日)
甲殻虫に、
あおいリボンを結んでやる。
ヒトミのお気に入りのリボン。
ひとみのワンピースとお揃いのリボン。
まったく似合わないその姿を見て、
苦笑いをしようとしたが、
ぽろぽろと、涙がこぼれて止まらなくなった。